解説者 戸田和幸氏の考え

_MG_2055_convert_20180708094949.jpg

天気予報と違って、早朝から曇り時々晴れ。
つかの間の洗濯日和も、油断禁物。


大雨影響で西日本が大変な被害でていますが、
これまでだとTV放送でのリアルタイム映像しか分から
ない状況がいまやSNSでよりきめ細かく情報収集
できるようになってきました。
マクロな情報は首相官邸や防衛省・自衛隊などあり
ますが、ミクロ情報は各自治体の例えば消防局など
が逐次、状況をTwitterで発信していますよね。

また自治体の長でも、記憶に新しいところでは、
6/18大阪北部地震が起こった時、吉村大阪市長は
発生直後から自身のTwitterにて「大阪で大きな
地震が発生しました。各メディアの情報に注意し、
安全を確保して下さいと発信を始めその後も余震
の可能性もあるので倒れた家具は元に戻さないで
下さい」などと、安全確保を呼び掛け続けていま
した。さらには地震発生から約1時間後には
市役所及び24区での災害対策本部を立ち上げ
を報告していた。

突然の災害時における、正しく早い情報収集、
冷静な行動、近隣住民・縁故者との連携連絡
助け合いなどいつも考えさせられます。
日頃から常に備えておくべきなんですね。



0704xz.png


W杯4強決定、すべてヨーロッパ
0708rr_convert_20180708095029.png


恥ずかしながら、最近戸田さんの解説を
知りました。
それまでは、孤高の選手とばかり思っていて注目
していなかったのですが、このW杯解説をnetで
知り、その的を得た秀逸なコメントに、驚嘆共感。


■戸田和幸 /個人ブログより

・サッカーはチームスポーツ
・全てのチームに独自のスタイルがある
・個々人が自由にプレーするものではない
・その試合特有の闘い方が存在するということ。

サッカーというスポーツは、1人の選手が90分
行われる試合の中でボールに触れられる
時間は2分から3分といわれています。
メッシ、ロナウド、ネイマール、エムバペ、
スアレス、アザール、デブライネ、ケイン。
こうした、トップレベルの選手達の遥か上に
そびえ立つワールドクラスの選手達で
あっても。
一つの試合でボールに触れられる時間は、
多くてもたったの3分です。
サッカーとはそういうスポーツなのです。
その僅か3分の中で、彼等は世界中のサッカー
ファンを楽しませ、時に気が狂うほどに熱狂
させてくれるからこそ、スーパースターと
呼ばれるのです。
彼等が違いを生み出す3分があったとして。
その3分の為にその他の選手達、チームがどんな
ことをしているのか。
そこにこのスポーツの本質が隠されていると
思います。

d5e3c7e1-e2f1-3f3f-82a5-ec342059f97d[1]_convert_20180615122244

対ベルギー戦後
柴崎が大会終了後に「知識」「経験」「感覚」を
さらに磨かなくては、というコメントを出して
いましたが、興味深いのはここに「知識」
という言葉が入っている点です。サッカーを
頭で理解し、プレーできればそれだけ判断の
質は上がります。サッカーにはロジカルな要素
が多分に存在しており、この試合でベルギーが
日本に対して攻撃面で見せたものも、やはり
きちんとしたロジックが存在していました。

サッカーは時代を経て、科学的トレーニングは
もちろんのこと、論理性が非常に重要な要素
とされるスポーツに変わってきました。いかに
優れた個人を有することができるかだけでなく
その個々人をどう配置し、組み合わせ、適切な
役割を与えられるのか。(中略)

試合を戦う上での不確定要素を、可能な限り
減らし、勝利への確率を高めるためのプラン
ニングを考案する。実際の試合の中で起きて
いる現象に対し勝利のために改善し、修正
するためのプランB、もしくはCといった
ものが必要な時代に突入しました。


…ロジカルシンキングは経営でも全く同じです
それと、
プランBもしくはCを持つことも同様これにより
リスク管理、将来のリスクヘッジができるわけ
ですから。サッカーも同じことだと。

戸田さんは日本代表選手から解説者になった人
ですが、地上波受けしないタイプ。
分析検証から論理立てするのでつまりおもしろく
ない解説になってしまう。
(時間もかかるので地上波のように手短には解説
できない)だから訳の分からない松木安太郎の
ような擬音語解説者が重宝される。なので
今までどおり地上波は捨てて、netTVでご活躍
願います、応援しますので( ´艸`)

042_convert_20171026093140.jpg

■戸田和幸 /ウイキペディアより
77年12月30日生れ、相模原出身の元サッカー
選手。桐蔭学園高を卒業。ポジションはDF,MF。
引退後は、徹底したリサーチと情報収集に基づい
た的確な戦術分析を得意とする解説者に。
18年2月、慶應義塾大学のコーチに就任。

93年 FIFA U-17世界選手権日本代表世界ベスト8
96年に清水エスパルス入団
97 FIFAワールドユース選手権に出場。
98年アジア大会ではU-21代表にDFとして招集。
99年不動の3バックの一角として清水初制覇。
01年ボランチ転向後に招集されたトルシエ
ジャパンで不可欠な存在に。

02 FIFAワールドカップでは真っ赤に染めた
モヒカンで観客の度肝を抜いた。4試合にフル出場
激しい守備でベスト16に貢献。トルシエジャパン
の影のMVPと言われた。

03年、02年W杯の活躍によりトッテナム移籍。
03年ジーコ監督ではトッテナム時代に一度だけ
招集が掛かったが今はクラブでのレギュラー取り
に専念したいと辞退。これに対しジーコも戸田の
反則すれすれのプレースタイルを批判する
コメントを残しており、喧嘩別れ以降代表に
招集されることはなし。

04年オランダのハーグに移籍したが、いずれも
満足な成績を残せず、04年再びエスパルス
に復帰。05年、優勝できるチームへ行きたいと
清水を離れ、ヴェルディへ移籍。レギュラーと
して活躍するも、
チームの調子は上がらず、東京VはJ2に降格。

06年からは広島へレンタル移籍。3バックの
リベロで出場、移籍1年目途中ゲームキャプ
テン務めた。
広島は京都との入れ替え戦に敗れてJ2降格。
複数年契約を結んでいたため08年も広島での
プレーを選んだが、DFではなく本職のボランチ
での起用を望んだ結果、森崎や青山らとの
ポジション争いに敗れ、出場機会が激減。

同年6月トレードの形で千葉へレンタル移籍。
シーズン終了後、戦力外通告を受け韓国の
慶南に。
10年草津へ完全移籍、11年戦力外通告。
12年、J2町田に加入するも監督との確執で退団。
13年SリーグのウォリアーズFCに入団。同年
11月14日自身のブログで現役引退を発表。





0708cx.png



[ 2018/07/08 11:33 ] サッカー | TB(-) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する