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今朝は久々に冷え込むー1℃、手足がかじかむ、床暖房ON。 今日はくもりから雨の予報。
昨日は、スピードスケート女子500mで小平奈緒選手金メダル!!! 女子初の金。 圧巻のすべりで、韓国の李相花の3連覇阻止。 優勝決定後、小平選手と抱き合い語り合う2人に感動。 見てるか、韓国文大統領。
そして、いつもの虎8。青山ぎい~ん登場ー88888888888 ところで、いつも思うけどMCへの対応が ザボイス「飯田アナ」 > 「さす平」なんだよなあ。 青山さん、もう少し「さす平」にリスペクトしてあげてね…
しかし、冒頭の小平奈緒選手スタート時の「体がビクッと動いた」 ばなしは、ドキっとしましたね。
続、有本姐御です。西伊豆が舞台となり壮大なものがたりが、
■有本さん第二の故郷は沼津市戸田(へだ)。
小中学校をこの地で過ごす。当時は人口5000人の小さなムラ だった。にわとりや山羊を飼っていたりと、結構カルチャーショックだった。 さて、この小さなムラを舞台にロシアとの歴史的なはなしに展開していきます。
日露修好条約と国境線画定のために、1853年来日(伊豆下田)していた、 ロシアのプチャーチン提督はじめ500名のロシア兵だが、軍艦ディアナ号が 安政の大地震 (たった2年の間に東海、南海、四国、江戸直下、三陸と M7クラスの大地震が続いた)の津波によって破壊された。 「修理しましょう」と運ぼうとしたとき、駿河湾に沈没。 ロシア水兵はどうやって帰国するのか?

プチャーチン と日本側の責任者、江川太郎左衛門英龍が考えたのは、 日本人船大工を結集して、西洋帆船を建造することだった。 こうして、日本人とロシア人の協力で生まれた「ヘダ号」 (戸田=へだで造られたので)は、日本の造船の基礎となっていく。
もちろん、この時の出来事がきっかけとなり、のちの「日魯通好条約」に つながっていく。 つまり、北方領土問題の原点ですね。
参考)1855年「日魯通好条約」について 現在の静岡県下田市において、締結され「下田条約」とも呼ばれています。 この条約で両国の国境は、択捉島とウルップ島の間に決められ、択捉島、 国後島、色丹島、歯舞群島は日本の領土とし、ウルップ島から北の千島列島 はロシア領として確認されました。 また、樺太は両国民の混住の地と決められました。
戸田は日魯有効のムラなのである。 一昨年末、プーチン大統領が来日したとき、山口に行く前にこの戸田に 訪れたらどうかと官邸に意見具申したんですけどねえ。
[ 2018/02/19 08:18 ]
虎8 |
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